大蔵流『間習分』 岩崎 雅彦 校訂 【凡例】 一、法政大学鴻山文庫蔵、大蔵流『間習分』(五〇12)を翻刻する。 一、翻刻は底本に忠実であることを原則としたが、印刷の制約や通読の便宜を考慮し、左の方針に従った。 1、漢字の異体字や旧字体は、原則として通行の字体や新字体に改めた。ただし、「哥」「嶋」などの若干の異体字、「龍」などの若干の旧字体は底本のままとした。 2、変体仮名は通行の平仮名に改めた。片仮名・平仮名の別は、原則として底本のままとした。ただし、平仮名文の中で使用される「ニ「ハ」「ミ」は平仮名に改めた。底本はセリフを漢字と平仮名で、型付を漢字と片仮名で表記することが多い。この傾向に合わせ、片仮名を平仮名に、また平仮名を片仮名に改めた場合がある。 3、濁点は底本のままとした。 4、必要に応じ、句読点を補った。 5、セリフの冒頭にある「乁」は底本のままとし、底本に「乁」がない場合は、空格を設けた。 6、振り仮名は底本のままとした。 7、校訂者の注記は( )で囲んだ。明らかな誤字は右に(ママ)と記した。ただし、「太郎官者」等の当て字には、何も記さなかった。通読に困難な宛字には、推定される読み方を傍記した。 8、詞章の引用箇所には「 」を付した。 9、底本の割注部分は割注とせず、文字の大きさで他の部分と区別した。 10、翻刻は岩崎雅彦が行い、補正等全体の表記の統一を西村聡・深澤希望が行った。 11、解題は深澤希望が執筆した。 (岩崎雅彦) 【翻刻】 間 習分 (表紙) 白楽天    鶯蛙 加茂     御田 舟弁慶    舟哥 邯鄲     傘ノ習 衣装附事 白髭     道者 養老     薬水 嵐山     猿聟 輪蔵     鉢扣 石橋     間 望月     間 江ノ嶋    道者 白楽天    鶯蛙 来序乁ケ様に候者は大和の国葛城山に住鶯の精に而候。イヤ是へ出たるものは、いか成者ぞ。 乁某は津の国住吉の浜に住蛙(カハツ)の精にて有よ。 夫はいか様成子細有て是へは出られたるぞ。 唯今出たる事余の儀にてもなし。唐の太子の賓客白楽天、日本の知恵をはからん為此土に渡り、肥前の松浦か沖に舟か着た。左有に依、住吉の明神、我朝の知恵をはかられてはいかゝと思召、漁夫の姿と現し出向ひ給ひ、楽天と色々御問答有て、唐に詩を作て遊ふとて楽天は詩をつくる。明神は日本には哥を詠み候とて御歌をよみ給ひけれは、白楽天肝をつぶし、扨は汝こときの賤き者も哥を詠み候かと申せは、明神の御返答には、我等こときの者は申すに及、水にすめる蛙迄も歌を詠と御申ありたるにより、若し楽天其證拠(シヨウコ)をと尋るならは返答致うと存て出ておりやるか、扨又そなたはいか様成者そ。 乁某は大和の国葛城山に住鶯の精成か、其方の云如く某も鶯の哥を詠と明神被仰たによつて、若其證拠(シヨコ)を尋るならは返答仕れと葛城明神より仰付られ候間、是迄出て有よ。扨其方の哥を詠と有子細か聞たうおりやる。 乁中々語て聞せう。古へ壱岐の守紀の吉(ヨシ)実(サネ)といふ人、住吉へ参詣ありしに木の元に美しき女、今は思ふ事有、重ねて爰に来り給へと云ける程に、左有はとてたかいに別れぬ。吉実約束の如来りて待給へ共、女の俤も見ゑすして真砂の上を蛙のはひ廻りける。其跡をみれは三十一文字有て詠みて見れは、住吉のはたのみるめもわすれぬは古へ人に又とわれけりと云哥有。是正敷事なり。某は其蛙の子孫にて候により是迄出て有。さらは旁の證拠をも聞たうおりやる。 乁中々語て聞せう。人皇四十六代孝(コウ)謙(ケン)天皇の御宇に葛城山に一人僧有り。弟子を先立深なけく。三年過て春、軒端の梅に鶯の来て鳴声を聞けは、初陽(シヨヤウ)毎(マイ)朝来(チヨウライ)、不相還本梄(フソウゲンポンセイ)と鳴。文字に写してみれは、初はるのあしたことには来れ共あわでそ帰る元のすみかにといふ哥也。則明神此哥を引て仰られたによつて、某も鶯の子孫なれは、是迄出て有よ。 乁尤しや。去なから證拠にも及ず。白楽天は帰ると云。夫ならはあれへ行に及ず。此様な目出度事は有まい。いさ目出度一さし舞て帰う。 乁一段とよかろう。 諷乁岸田の蛙鳴すさみ、種まく哥の心かな 三段舞 二人乁住の江の、〳〵、岸田の蛙なきけれは シテ乁枝に鳴鶯梢に上り 二人乁諷かなで是迄成とて鶯蛙、〳〵は、すみか〳〵に帰りけり 御田    社人出立 来序乁是は都加茂の明神に仕え申神職の者にて候。誠に申迄も御座なき御事なれ共、我朝は小国とは申せ共、神国にてあれは仏法繁昌仕、何事も目出度御国に而候。ケ様の御事も国々在々所々に霊神数多地をしめて御座有故也。中にも当社の御事は霊神にてましますと云。王城の鎮守にて天下を守り給ふ御事也。去程に当社におゐて御神事数多御座候中にも、今月今日の御神事を御田植の御神事と申て、取分子細目出度御神拝にて候。漸時分に成て候か、いまた早乙女達の出られぬ。急て呼出し神拝を調へ申さはやと存る。 いかに早乙女達、何とて遅り給ふそ。とう〳〵出られ候へや。 笛の先ニ居。サカリハ。女立衆出ル。一ノ松ニて太コ頭聞テ 頭乁神山の 立衆乁〳〵、加茂も川波豊なる、みとしろお田を植んとて早乙女の袖をつらね、笠の端をならべつれ、いさ御田植を急かん、〳〵。 又サカリ羽ニて舞台一遍廻り、一ノ松ニ留り、頭聞テ、 乁苗代の、〳〵、とろらとならしすましつゝ、水も豊に水口を祭り納る神の御田、〳〵、実のるも程なかりけり、〳〵 シテ立テ あらふしきや、囃子物の音かする。ヤレ〳〵、早乙女達の目出度と思はれて、囃物て出られた。扨々面白い事しや。なふ〳〵早乙女達、目出度御代なれは、当年はいつよりもきれひに出立て殊に囃物てお出やつたの。 乁其事ておりやる。目出度折柄なれは、若ひ衆をともなひ随分花やかに出立、神拝を調うと思ふて囃子物て出ておりやらしますは。 乁近比目出度おりやる。左有は時分も能く候へば、水口を祭りて御田を植させ申う。皆々其間に拵を召れいや。 中々水口を祭らせられい。 心得た。 シテクツロキ、タスキ懸、ヱブリ持。  乁参らせ候、〳〵、夫年の年号はよき年号、始つて白銀の花咲、金の実なり、ひらき人物和合する時を以て、うやまつて申、夫春の棚おろしはすくなふ候共、秋にならは、町町に千束、町に万束たるへしと祭り納めて声を上、 乁田植ひ早乙女、うゑい〳〵早乙女 乁目出度御田植に苗代におり立 乁おり立て、〳〵、田植い早乙女、笠買うて着せうそ 笠買ふてたぶるならは、〳〵、猶も田をは植うよ いかに早乙女、富岡山に白玉椿の花の咲た見よかし 乁八千代を重ねて咲たるそ目出度 乁早苗とるとて手を取そおかしき 乁取たらは大事か若い時の習ひよ 乁早苗取る山田のかけひもりにけり 乁引しめ縄に露ぞかゝりたる、五月の早女房と春の鶯と 乁声くらへせう春の鶯と 乁いかに早乙女、化粧文かほしいか 乁けそう文をたふならは嘸な嬉しからまし けさうぶみ取つたりと何にせうそ美目わる 乁つらにくゐ男のゆふた事の腹立 乁誠に腹が立ならは水鏡を見よかし 乁早乙女の影うつす苗代のすみ〳〵の水は鏡かは 乁鏡は見たれ共、顔はよごれたり 乁顔はよごれたり共、おもふ人は持たり 乁いかに早乙女、加茂の神山に花の咲た見たるか 乁実きつと見たれは金の花も咲たり 乁おゝ目出度や 乁目出度や 乁実目出度かりける、誠に目出度かりける 乁目出度御代には千千代万千代富ふれり 女入 ふれりや〳〵とみふれり シヤキリトメ 舟哥之事 如常舟ニ乗リ大小アシライ。文句モ常如ニ而、「扨武蔵殿に所望申度事の候」「何事に而候ぞ」「一とし一ノ谷に而御手柄有し○   鉄界か峯に而御手柄有し   阿波の渡りにて御手柄有し 右ワキ流義により三通り有よし。聞合すべし。 ○様躰御物語有て御聞せ候へ」「夫社安き事にて候」 ワキ語有テ 「近比いさましき御物語りにて候」「又舟頭殿に所望申度事の候」「何事に而候そ」 舟哥好ム 「夫社心安き事にて候。君の御門出目出度諷候べし」 和中乁やら。目出度。目出度やな。御代も。納り。波風。静に。かさしの花も。波。たゝずして。漕よせんやそふよの 上乁顕れて〳〵。いつかわ君に逢竹の。まくら。ならへん。やよかりもそふよの。やよかりもそふよの 如常諷うト心得へし。 乁いわふ心は万歳楽 大小ハ謡前ニ留ル。又諷済ト打懸ルト「ハア今迄見へなんたか、向う山にいやな雲か出た」ト懸ル也。 右正シ 邯鄲    傘之習 シテ楽屋より日傘サシ出ル。如常次第道行有。案内乞。如常請テ「安間の事御宿を参らせうするに而候」ト云テ直ニ「童御かさを預候へし」ト云ト太夫傘ヲスホメ渡ス。狂受取テ「さらは奥の間へ御通り候へ」と云。太夫静に通ル。狂傘ヲ間座ニヲキ床木持出テ後ニ廻リ「先是ニお腰を召れ候へ」と云テ如常懸合有テ「粟の飯を拵へて参らせうするにて候」ト云テ直ニ「やあ〳〵お旅人の」ト云。済テ床木取間座ニ居ル。扨乁望叶へて帰りけり」ト、シテ柱先ニテ留メテ橋向。其前に立テ間傘ヲ持出。シテ柱先ニ而 下音ニ而「さらは御傘を参らせ候へし」ト云ト、シテ団腰にサス。其間ニ狂傘ヲヒロゲ渡ス。シテ傘ヲサスヲミテ 下音「又こそ御入候へや」ト云。シテ「祝着申候」ト云テ入ル。シテ跡より同幕ニテ入シ也。   此下音之事ハ謡ノ留メ下音ニ而留ル。夫に調而合スやうとの事也。 右傘乃邯鄲の儀は文政四年巳十二月廿四日、於椛((ママ))御殿江戸北流隠居喜多寿山老人七拾七才相勤られ、間弥三郎相勤候。当日切幕切迄他へ沙汰間敷由被申聞。尤此方も古書置習の衣装も有様傘伝候間、寿山老に聞合候処、置鼓の儀は家元としならては相勤り不申、勿論習の所は狂言は只常の間ト心得相勤可申との事故其分に相勤申候。併シ枕は持なりに終。此邯鄲の枕となりて候と書申候。寿山老人も此度始メ而也と被申候。 鶯蛙  シテ鶯    着付スリ箔。紅ノ大口。長絹。葛。乙面。天冠上ニ鶯梅花枝作ル。黒骨扇子。又唐折。坪折ニテモ。下袴吉。   蛙    厚板。半被。半切。黒垂。蛙龍台ニ作る。又下袴ソハ次ニテモ。ケントク面。白骨扇。 白髭道者   シテ  能力出立。舟作リ物、舟弁慶の通。       但シシテ方ハ小形吉。中ノ間ニ乗コキ出ス。   舟頭  狂言上下ニテモ。又羽織ニテモ。   立頭  懸すおふ出立。括袴。   立衆  半上下。モキトウ。十徳。イロ〳〵有へし。   鮒   厚板。半ヒ。半切。黒垂。鮒龍台ニ作る。扇子。   シテ  シヤク腰ニサシ出ル。ウスキ杓ヨシ。 御田   社人出立   箔。黄水衣。括袴。ナシ打。調渡懸。扇子。ヱブリ。タスキ。葛帯。   女頭  如常出立。ヌリ笠キル。       作リ物 松葉入用。      後ニ用意之時 笠取右ノカタヌグ。 薬水  シテ祖父   下ニ箔ふり袖。腰巻ニテモ。かつら。平元結。下ニ白袴紅サス。上ニ格子厚板。角帽子。祖父面。末広扇白骨。杖突。腰帯。   アト  二人か三人吉。懸素袍出立。少刀。 猿聟   舅猿  頭カルサンキル。のしめ。侍烏帽子。素袍。少刀。       惣而常の聟物出立。頭皆々カルサン着テ面。   太郎官者  同  シテ聟   懸素袴((ママ))。括袴。少刀。小結烏帽子也。   姫   乙猿。葛。平元結。ふり袖。箔帯。   立衆  皆々半上下。太刀持壱人。留メニ樽持猿。常の猿出立。       笠キテモ。樽荷棒ニテ荷出ル。 幷様   聟  姫  太刀持  立衆  樽持    右 鉢扣   頭   立衆   ふくへの神  乙ふくれ面。狩衣。半切。 白髭道者    能力出立 来序乁ケ様に候者は江州白髭の明神に仕え申神職の者に而候。誠に申に及ぬ御事なれ共、我朝は小国とは申せ共、神国に而仏法繁昌して目出度御国に而候。是と申も当社の御事は後五百歳より今に至迄霊験あらた成御神にて候。去程に当社に我等如きの者数多候か、当社と伊崎の明神との上葺(ウハブキ)を致うするとて勧進の為国々へ罷出候。此海上を我等て請取て勧進を致うと存る ト云テ舟ヲ楽屋ヘ取ニ入、乗テ押テ出ル。腰ニ杓サス。 ヱイ、〳〵、〳〵 乁今日は一段の日和にて候。定而道者舟が出うする程に勧進か有うと存して此様な嬉ひ事はない。先爰元に舟をかけう。脇座前に舟置下居。 次第立衆乁結し講の末とけて、〳〵、清水詣て急かん 頭乁是は北国方の者て御座る。清水講を結んて御座る。講中を同道致し、唯今都清水へと急候。 立衆乁住なれし我古里を立出て、〳〵、足に任て行程に、〳〵、海津の浦に着にけり。 乁急程に海津の浦に着た。扨是より舟て御座ろふか、但し陸て御座ろうか。 乁皆々草刈((ママ))と見へて御座る程に舟か能御座ろう。 乁さらは私の存た舟頭か御座る程に舟をかりませう。各々夫に待つしやれ。 乁心得ました。 楽屋え乁舟頭殿内に御座るか。 乁身共を呼しやるは誰て御座る。 乁身共て御座る。 乁イヤ是は都え哉登らせらるゝか。 乁中〳〵。若い衆を同道して都へ登りまする。皆清水参(マイ)りて御座るか、何れも舟に乗度と被申まする程に舟を出して被下。 乁成程心得ました。唯今出しませう。 乁夫は嬉敷御座る。舟楽屋ヘ入、持出ル。 頭乁皆々御座るか。 立乁是に居まする。 乁舟頭殿が舟を出さうといわれまする程に待せられい。 心得ました。 シテ柱先 乁さあ〳〵。舟を出しました程に皆々乗せられい。 乁心得て御座る。舟頭殿太儀て御座る。 皆々乗ル。 乁何れも静に乗せられい。 乁心得ました。 乁皆々乗せられたか。舟を出しませうか。 乁中々出して被下。 乁心得ておりやる。 乁扨々今日は天気か能て皆々仕合て御座る。 乁されは〳〵日和か能うて此様な嬉敷事は御座らぬ。 乁扨是は何れも清水へ参らせらるゝ衆て御座るか。 乁中々。講中て御座る。 乁扨々奇特な事て御座る。とおひ所を能参らせらるゝのふ。 乁大方年々参詣しまする。 乁夫は信心の深い事て御座る。 能力乁イヤ暇((「かしこ」ト読ムカ))へ道者舟か見ゆる。舟を寄せて勧進の致う。大勢の乗ね((ママ))じや程に勧進か有うと存る。舟頭殿御太儀て御座る。 頭乁イヤ今日も勧進にお出やつたか。 乁して是は道者衆で御座る。 乁中々。道者衆て御座る。今日は日和も能程に道者舟か数多出う所て其方も仕合か能おりやろうそ。 乁其通りて御座る。扨何れも勧進に入しやる様に云て被下。頼まする。 乁心得ておりやる。申〳〵、道者衆。あの人は白髭の明神と伊崎の明神の上(ウハ)ぶきの召るゝに付て勧進を召れまする程に何れも勧進に入てやらせられい。 聞届けて御座るか、何れも持合か御座らぬ程によいやうに云て被下。 心得ました。御坊御聞やつたか。 中々。聞ましたか過分の事かと思召そうに御座る。少つゝても苦しう御座らぬ程にとふそ勧進に付て被下といふてすゝめて被下。 のふ〳〵。少つゝても入らせられて被下といわれまする程に御持合か有らは入てやらせられ。 何か扨あらは入ませうか、荷物を陸え廻して御座れは折節是には一銭も御座らぬ程に下向道に入ませう。 尤て御座る。 イヤ、申〳〵、下向には歩行地(カチジ)を御座ろうも知れませぬ。是は白髭明神と伊崎の明神の両社の上葺て御座る程に勧進に入て被下。何れも道中あやまちない様に一銭二銭つゝても入させられ。杓フル。 扨々其方は聞分のない。両社の事じやに依てあらは入うか、爰にはおりない。 何かおれき〳〵の中にないと申事か御座ろうか。さあ〳〵一銭二銭つゝても入させられい。勧進〳〵。 乁ハテくとい事をいふ人じや。無物か何と成物ておりやる。イヤ皆かまわつしやれるな。  やい爰な勧進坊主、わごりよはくとひ者じや。あれ程断をおしやるに其様にいふ事か有物か。舟の邪間しや。おのきやれ。 イヤ、わごりよはとゝかぬ。お主も此海上て身を過るてはないか。仮令(ケリヤウ)あの衆は同心なく共すゝめてくりやう者か、其様な事か有物か。 道者衆此上は有共御無用て御座る。扨々苦鈍な坊主しや。 お主か身共を苦鈍なと云か。 ハテならぬ事をぐど〳〵といふは愚鈍ては無か。 イヤ其つれをいわゝ目に物を見せるそよ。 夫は誰か。 身共か。 おかしひ事をいふ。目に物を見するといふて何程の事か有うそ。 ハテ舟頭殿は腹を立る人じや。此様に云も勧進かほしさのまゝしや。其方といさかひをしてはならぬ。機嫌直してとも〳〵すゝめて被下。頼まする。サア〳〵道者衆とかく各々さへ勧進に入させらるれは此云事は御座らぬ。一銭二銭ても入らせられい。上(ウハ)ぶきの勧進〳〵〳〵。 乁道者衆あの様な者にはふつ〳〵とかまわつしやれな。 乁フウ扨はしかと其つれをいわゝしよふか有か、かまひて身共をうらむなよ。 乁何の悔る事か有う。 乁舟頭ていどいふか。悔なよ。 頭乁何の悔む事か有う。 イロ乁恨な道者。悔な男。明神に仕へ申年行の功をつむ事一千余ケ日、一食だん食立ち行居行、ケ程の貴き勧進聖になとか印のなかるべき、南無水神〳〵 珠数スル 乁唯今迷惑せうそ。 頭乁誠に海上の景色か違ふて御座る。 早笛太コ頭聞テ 諷乁不慮((ママ))儀や沖の方よりも、〳〵、大鮒一献顕れ出て、道者向ひいかれる有様、まの当りなるきとく哉 舞働 ノラス乁抑我朝の味物の数は多けれと、中に事成近江の鮒の、鱠の味こそ勝れたれ、〳〵 立衆乁道者は是を見るよりも、かゝる奇特におとろきて、十代の刀やぶれ小袖、十徳かたびら皆ぬきつれて、勧進聖にあたへけれは、鮒は悦おとりつれて、舩の綱を口にくわへて、ばつくか間を片時か程に、堅田の浦に引付て、夫より都へ登せけり、上壱人より下万民、〳〵迄、鮒おる事社目出度けれ 薬水 来序乁罷出たる者は濃州元須の郡に住居致す者て御座る。扨も此かたはらに養老の滝と申て御座候か此滝坪より薬の水涌出て候と申。此薬の水をたべ候えは、老たる者若くなり、ひん成者は富貴に成と申。此様な目出度事は御座らぬ。爰に百歳(ももとせ)に及ふ祖父御を持て御さるか、殊外御年もより苦労に思召まゝ何卒滝壺へつれましていて薬の水をすゝめて見うと存る。私斗ても御ざらぬ。爰に誰殿誰殿と申て私同前の合孫か御座る程に相談の致、同道致して参ろうと存る。誠に有難事て御座る。今此御代の目出度けけ((ママ))は、ケ様の薬の水も涌出ると申は目出度事て御座る。何角と申内に是しや。先案内を乞。物申。如常。 乁扨々能こそ御出被成たれ。今日は何と思召て御出被成た。 今日参る事別の事ては御座らぬ。こなたには養老の滝に薬の水涌(ワク)と申事を御聞被成たか。中々聞ましたか扨々目出度事て御座るの。 夫に付て祖父子をつれましていて薬の水を進してみよふと存るか、何と御座ろう。 是は一段とよふ御座ろう。幸誰殿も御出被成てごさる。 夫は幸の事て御座る。 是へ呼ませう。 早う呼せられい。 誰殿〳〵 何事て御座る。 唯今誰殿か御出被成薬水の事を被仰まする。 いかにも暇((「か」ト読ムカ))う((「か」ト読ムカ))承りました。 然者御同心て御座るか。 中々夫ならは祖父子の方へ参ろうては御座る舞か。 一段と能う御座ろう。 先こなた衆から御座る舞か。 何か扨案内の為そなたから御座れ。然らは私から参う。こう御座れ。 心得ました。 扨祖父御か御同心なれは能う御座るかの。 ケ様に申も何とそ御厚行にもならふかと存して申事て御座れは御聞入のないと申事は御座るまい。何角と申内に是て御座る。先案内を乞ませう。 一段と能う御座る。 いかに祖父子、孫共かお見舞申て御座るそや。 シテ乁ヱイ〳〵〳〵。おゝしを呼はたそら。 乁ハア孫共かお見舞申まして御座る。 何孫共じや。 中々。 やれ〳〵能こそお出やつたれ。祖父は腰かいたい程に腰を懸る物をおくりやれ。  畏而御座る。お床木て御座り升る。 わこりよ達は久敷みへなんたか、けふはどち風か吹たれはわせたそ。 何角と致て得御見舞申ませなんた。御機嫌能て御目出度御座り升る。 そち達も息才て嬉敷ひ。 扨祖父御には養老の滝に薬の水か涌(ワキ)ますると申事を御聞被成まして御座りまするか。 イヽヤ。祖父は何とも聞ぬか、夫は目出度事しやの。 則其滝水をたへますれは老たる者は若盛んになり、ひんなる者は富貴すると申事て御座るによつて祖父子を同道して参り彼薬の水を進せよふと存し、孫共申合て参りまして御座りまする。御出被成ませうか。 ヲヽ孝行な孫共しや。乍去何程薬水を呑たとて此百(モ)々とせに及た身共(ヲヽジ)かなんの若く成物そ。其方衆の心さしは過分なれ共行事は無用に致そう。 イヤ此間も当りの若者か老人を同道していてかの水をすゝめたれは、たちまちわかくさかんになつたと申まする程にひらに御供いたしませう。 ヤア〳〵此中もはや若やいたものか有といふか。 左様て御座りまする。 夫なれはあらそわれぬ事じや。祖父も早う連て居ておくりや。 心得ました。 其儀ならはこなたお手を引っしやれ。 心得ました。 静に御出被成ませう。 ヲヽ〳〵。 此上お若う御成被成たならは弥御寿命御長久て御座ろふと存して悦ひまする。 被仰らるゝ通り是程嬉敷事は御座る舞。 イヤ何角云内に滝の元へきました。 其通りて御座る。 祖父御様滝へ参りました。 ヲゝなんと〳〵せいけつな滝ておりやるのふ。 いさきよい滝て御座りまする。 先是へおこしを懸られませ。 ヲヽ〳〵。扨急て祖父子へ水を進しませふ。 能う御座ろう。 さあ〳〵薬の水を上りませい。 とれ〳〵是へおくりや。ヲヽ心よや〳〵。殊の外若やく様におりやるは。 左様ならはいか程も上りませう。 是へくれさしめ。此水は常の水には替りかんろもかくあらんとおもふ味にて扨も〳〵呑は呑程若うなるやうな。心かいそ〳〵するは。 左様ならは今も一つ上りませい。 謡三人トモ乁一盃〳〵また一盃 やら〳〵めてたや〳〵な、薬の水をほしいまゝに呑(タビ)けれは髪の廻り髭の当りかそゝめいて元の白毛(ガ)はぬけ果て若き児とそ成にけり。 上ノ衣装ヌキ児姿ニナル。 扨も〳〵ふしきなる哉。祖父この児にならせられた。 いか様かやうの奇特は御座る舞。 なふ〳〵こなたは美敷児にならせられた。  やあ〳〵是は嬉しい。 扨も〳〵目出度事しや。 イヤおれかすきのふり鼓をたもや。 されは社はやわんざを被仰るゝ。 いかにもふり鼓をしんじませう。 ゑのころもたもや。 何成共進上申う。扨何と此様子を囃しまして少うかしませふ。 一段と能御座ろう。 さあ〳〵囃させられい。 心得ました。 祖父この、〳〵、児に成たをみまひな、〳〵。てうち〳〵あはゝ、かふり〳〵しほの目。  祖父この、〳〵、児に成たを見まいな、〳〵。あたまてん〳〵、目ゝこ〳〵〳〵。や、児に成たをみまいな、〳〵 シヤキリ 又手車ニ乗入テモ。 猿聟 乁キヤツ〳〵〳〵。是は都嵐山のまして御座る。此程某か娘を縁に付て御座る。今日は最上吉日なれは花聟殿かわせらりやうとの内々て御座る。路次庭のそうしを申付うと存る。キヤツ〳〵〳〵。 太乁キヤツ〳〵〳〵。 乁けふは最上吉日なれは花聟殿のお出やろうとの内々じや。路次庭のそうしをしておけ。 畏而御座る。 聟殿か見へたらはこちへ申せ。 心得ました。 キヤツ〳〵。 キヤツ〳〵。  一セイ乁けふすてにみつのへさるの日吉とて聟入するこそ嬉しけれ  シテ詞乁是は和州三吉野に住居するまして御座る。けふは最上吉日なれは聟入を致うと存し女共をともなひ都嵐山へと急候。 道行乁三吉野ゝ、花の梢をはい出て、切 〳〵、馬に乗らねと車坂、素袍はかまを着なからも、大口峠打過て、切 猶行末は足なかの、あめしまきをもよそにみて、三笠の山に住居する、木葉猿をも誘ふなる、嵐の山に着にけり 詞乁急間都嵐山に着た。先案内を乞う。キヤツ〳〵〳〵。 キヤツ〳〵〳〵。 何角といふ内に舅殿の所は此辺しやと思ふ。汝案内を乞へ。 畏而御座る。 キヤツ〳〵〳〵。 キヤツ〳〵〳〵。 表に案内と有。案内は誰そ。 是は三吉野ゝまして御座る。けふは最上吉日なれは聟入に参られました。 やあ〳〵聟様て御座るか。 キイ〳〵。わらはも来たとおしやれ。 何おこう様も御出被成ましたか。 中々。 其通り申ましやう。暫夫にお待被成ませ。 キヤツ〳〵。 キヤツ〳〵〳〵。 何事しや。 聟様か御出被成ました。 何聟殿かわせた。 お督様もお出被成ました。 何おこうも来たといふか。 キヤツ〳〵〳〵。 夫ならは聟殿にはこう通らせられいといへ。お督には勝手から通れといへ。又下々のましは長やへやつて休ませ。 畏而御座る。 キヤツ〳〵〳〵。 キヤツ〳〵。聟様はこうお通り被成ませ。おこう様には勝手からお通り被成と申されまする。 夫ならはわこりよから通らしめ。 夫ならはわらは先へ行ませう。キイ〳〵。とゝ様久しう御座る。 能うこそ来たれ。先こう通れ。 キツ〳〵。 キヤツ〳〵〳〵。 キヤツ〳〵。 不案内に御座る。初対面に御座る。早々参る筈で御座るを何角とひまを致いて遅りました。其段はお督にめんしさせられて被下。 内々おひまなしと承りました。先以今日の御出目出度御座る。 目出度御座る。此上たのみまする。 盃を出せ。 キヤツ〳〵〳〵。    常ノ聟物ノ通盃事有。「からし〳 〵」モ有リ。姫「キイ〳 〵」ト云シカル。舅ヘ戻ス。聟酌ニ立、小謡。「猿子」ノ小謡ヲ諷ウ也。 猿子をいたいてせいやふのかけに隠ぬ。鳥花をふくんてへきかんの前におつなるも、今更おもひしられたり。花みつはいかてか此山に一夜明さん。    右小謡の内に太郎官者立衆へ酒ツク。立衆ハ聟の通ル時大小間ヘ通リ、下ニ居ル。樽持ノタルハ其時ニ太郎官者ヘ渡スト舅の前へ持行。「聟様よりのおもたせて御座る」といふ。舅「キヤツ〳 〵〳 〵」ト受ル。直ニ樽後見座ヘ引。   猿立衆ハ四ハヤシノ前ニ下居ル。樽持斗平座シテ手ヲ組居ル。笠ハ前ニ置ク。    聟より立衆ヘ「キヤツ〳 〵」ト渡ト、「キヤツ〳 〵」ト受テ小舞。一番済ト姫ヘ盃をサス。姫呑舅ヘ戻ス。舅ウケルト聟謡出ス。ムコ謡出スト太郎官者ヘ盃渡ス。「キヤツ〳 〵」ト小声ニテ云、後見座ヘ引。姫ヘ盃ノ時又立衆ヘツキ廻ル。尤小謡ナシ吉。 謡シテ乁酒宴半のさる曲、〳〵、さす盃も度重れは、みな御顔か真赤になつて、きつ〳〵とならはせ給ふ、面白かりける風情哉、〳〵 舅乁舅は是をみるよりも、聟殿のつつ立上る、舞の袂のおもしろさに出せる駒(コマ)は何々そ シテ乁一ノ幣立弐ノ幣立、三に黒駒信濃おとれ、舟頭殿こそゆふけんなれ、泊り〳〵を詠つゝ、彼又獅子と申には、百済国に而普賢文殊の召れたる、猿と獅子とはお使者のやく、猶千秋や万歳と、俵を重てめん〳〵に、〳〵、たのしうなるこそ目出度けれ 鉢扣 乁ヶ様に候者は都に住居する鉢扣て御座る。我々の朋輩今日北野へ参うとやくそく申て御座る。先そろり〳〵と参う。旁々何れもと申合て御座る程に追付出らるゝて御座ろう。皆々と賑に同道致して参詣致うと存る。先此所て待う。 笛ノ座下居。サカリハ。一ノ松留。 立頭 納まれる、〳〵、都の春の鉢扣、たゝきつれたる一ふしを、茶せん召せとはやさん、此茶せん召せとはやさん。 乁あらふしきや。囃子物の音かする。やれ〳〵皆の衆か目出度と思われて、はやして出られた。なふ〳〵お主達は云合て囃子物て出られたよ。 其事て御座る。目出度折柄なれは何方も賑わしいか浦山しうて云合て囃子物て出ておりやるそ。 夫社目出度けれ。イサ北野へ参う。 ふくべの神へ参ませう。 さあ〳〵御座れ〳〵。 心得ました。 扨何と思召そ。何時参れ共ふくべの神の様な有難御社は御座らぬそなふ。 いかにも被仰るゝ通いつ参ても又参詣致度と存るはふくべの神て御座る。 いかにも左様て御座る共。イヤ何角申内にお前て御座る。いさ拝みませふ。 あら有難や。いさ紅梅殿の御前てゆる〳〵と通夜を申う。皆々通夜を被成。 心得ました。 荒ふしきや。社内かとゝめく。先こちへ寄らしめ。 心得た。 一セイシテ乁抑是は当社天神の末社天下に隠なき紅梅殿の神とは我事なり。 是へ御出被成たはいか様成御方て御座るそ。 何といか成者とふしんする。我ふくべの神と祝れしゆへ鉢扣共信してあゆみをはこぶ心さしやさしけれは姿を拝ません為に是迄出たるそとよ。  是は有難う御座りまする。 先こうお通り被成ませ。 心得た。 是へ御腰を懸られませ。 汝らも有難いと思わぬか。 是程有難ひ事は御座りませぬ。 扨神酒を上ませう。 夫社ふくべの神の望所なれ。神酒を上い。富貴栄花にさかへさせうそ。 何ニテモ輪蔵ノイワレトウモ有。 此上ハ汝等謡舞てふくへの神を慰め候へ。うつり舞に舞うするそ。 立衆詞イロいて〳〵さらは諷舞て、紅梅殿をすゝしめん、〳〵  鉢扣詞ケ程目出度影向に、逢社我も嬉しけれ シテノル 万之事も願ひのまゝに、たのしみ栄る此御代の、枝もならさぬ松の風、ふくべの神は是迄成とて返り給へは、其時おの〳〵袂にすかり、へうたんしばし留り給へと引とめけれは、又立帰り猶行末を守らんと、〳〵て、我社にこそ帰りけれ   シテ 乙面。箔。唐織。坪折。腰帯。下袴。ナシ打前折。   アト 角頭巾。括袴。十徳。茶センカタケ、ヘウタン持。   立衆  同掛素袍。水衣モ入テ吉。    葛桶。【瓢箪の絵有(一字程度の大きさ)】笹ノ葉ニ茶セン付ル。 石橋 ワキ、大江ノさたもと。じやくぜう法師。ワキ間ニカマイナシ。 太夫中入、白楽天ノ如ク。此乱上、本ノ乱ニ乱上也。 此囃子太鼓頭取ゆへに、間の乱上よけ、つゝみとぶ〳〵にて出ル。中入ノ謡ニ「やうごふの時節も今いく程によもすきし」ト謡、此位ヲトツテ、鼓打出スやう有。口伝秘事。 早鼓トクト知らへ可申事。 乁ケ様に候者は天竺の側に住む伜(セカレ)仙人にて候。我聖霊山(セウリヤウセン)に莅(ノソミ)有ニ依而度々此橋の本江来れ共、未仙人の通力至らざるによつて、石橋を渡る事成らす望不叶候。其子細は国土世界におゐて橋の数多き中にも石橋と申は人間の渡せる橋にてなし。唯(タタ)己(ヲノレ)と出現したる石の橋なり。其長さ三町に余り、幅(ハバ)は尺にもたらず狭(セマキ)なり。輪(ソリ)たる所を物にたとへは、虹(ニジ)の吹たる形にて雲に睽晨(ソビヱ)て見へたり。下へは数千丈有て滝壺迄霧深して難見、いか程有も知かたし。水の深さは何(ナン)海(カイ)もしれす。上は滝の原自雲(クモヨリ)落る如くにて嵐にひゝき夥敷、橋の石には苔(コケ)茂(ムシ)て滑(ナメラ)なる所も有。此橋の本に莅(タヽズ)んて向を見渡せは、目も眊(クレ)肝(キモ)脱(ツブレ)足振(アシフルイ)腰も不立(タタズ)中々人間の可渡様もなし。誠に空をかくるつはさ迄も羽を休兼たる程のけん難なれは可渡様なく候。左(サ)霊(レ)とも向いは文殊の浄土にて常に笙哥(シヤウカ)の花降(フリ)、目の前の奇特あらたなれは、我も〳〵と望を成せ共石橋を見て肝をけし、渡らんと云人もなし。去はいか様成貴僧高僧に而も此橋に莅(ノゾン)て月日を送る。難行苦行をしては仏力神力をもつて渡ると申か、我等か分として難行苦行も成間敷。元より仏神の力を持て渡事も成間敷候程に、いか程清(セウ)霊山(リヤウセン)に望有ても叶間敷と存る。乍去今の身に而こそ不成共、仙の法至るにおいては望の叶ぬ事は有間敷間、弥仙家に入て仙の法を勤うと存る。扨又橋の由来を尋るに、天地開闢(カイビヤク)よりこのかた雨露を下し森羅(シンラ)万像(マンゾウ)の恵を受、貴賤国土を渡る。是則天の浮橋と云り。何方有難御事に而候そ。誠に橋の名所様々にして水波の難を遁れ、万民難有存る事に而候へは、尺にもたらぬ橋なり共、渡せる人は仏神も納受有。此世に而は無悲(ムヒ)の楽に発(ホコ)り、来世は仏果に至迄と申す。されは橋を懸るは人間の慈悲の中の第一と云か、いか成木竹石の橋に而も愚(ヲロカ)にて渡る事にてはなく候や。其方か動(どゝ)めくは何事そ。何と獅子か出ると申か。是は何と致うそ。イヤ〳〵此所に居たらは獅子の勢(イキヲ)いに当て命を失う事も可有。命か有て社清霊山への望も可成けれ。命を失ひては成舞。急て罷帰り随分仙の法を勤め、仙人の通力至るにおゐては、仙術を以て此石橋を渡り、多年の望を叶ふと存る。先此度は罷帰り、ケ様には申せ共、向なる 謡 文殊の浄土に望は残る、又こそ爰に来らめと、勇をなして帰りけり 望月  狂言上下 脇・供・シテ出ル。 ワキ望月名乗テ呼出ス。 乁御前に候。 乁畏而候。 乁やれ〳〵目出度事哉。所領委((ママ))叶ひ思召儘の御下しや。急て御宿を取申するに而候。初宿しや程に能所を取たいか、とれを取うするそ。イヤ甲屋か大きなる宿しやと聞た程に、かぶとやを取う。いかに此内へ案内申候。 シテ笛ノ先ニ居ル。又太コ座ニモ居ル。 乁頼うた人をお供申て候。一夜の宿を御借候ヘ。 信濃の国の住人望月秋長、ヤ、てはおりない。 心得申候。 いかに申候。御宿をかり申て候。こう〳〵御通り候へ。ワキ座ニ着。太刀ヲ脇の左ニ置、笛ノ上ニ下居。シテ「いかに頼み申候」。 乁誰にて渡り候そ。イヤ亭主に而候か。何の御用に而候そ。夫は近比にて候。アウイヤ又夫成人達は何者に而候そ。 夫は一段之御地走にて候。夫に御待候ヘ。其由申上う候へし。 いかに申上候。此家の亭主、酒を持て参られて候。 畏而候。 こう〳〵御通り候ヘ。 前ノ所ニ下ニ居。 又あれに候者は此宿に有めくらごぜにて候。御慰之為同道申され候。 此方へ御通りあれとの御事に而候。いかに是成人何成共面白う一ふし御謡候ヘ。 「一万箱王か親の敵打たる所ヲ謡候べし」。 辞々夫はさし合か有。余の事を御謡候ヘ。 謡を所望申て候へは一万箱王か親の敵を打たる所を諷うと申す程に、さしあい有との申事にて候。 左有は其方次第に御謡候ヘ。 「南無仏敵を討せ給へや」ト謡う。 子「いさうとふ」。 アヽ暫く。かなしや。 ト云テ脇の前ヘ出ル仕形有。 シテ「何ヲ御さわき候そ。いさ討うとはかつこを打うとの御事に而候よ」。 夫ならは夫ととうおしやらいて聊尓な事をおしやる程にの。扨亭主は何を御舞候そ。 子方獅子を御所望候ヘ。 シテ某獅子舞たる事はなく候。 イヤ〳〵。おさなき人の申さるゝ程に偽りにては有間敷。急て舞て御めに懸られ候ヘ。 夫は近比にて候。 左有は急而御拵江候ヘ。 シテ畏而候。 やれ〳〵是成おさなき人は未幼少に候か、謡も能う謡候。其上かつこを打て御聞せ被成うすると被仰候。万能の御方しや。亭主の拵への間に鞨鼓を御打候ヘ。   「日本一ノ事に而候。さあらはかつこの後、獅子を舞て御見せ候ヘ」トモ。 【解題】  法政大学鴻山文庫蔵。五〇12。仮綴横本。一二・〇×一七・二糎。共紙表紙左肩打付書外題「間 習分」。栗色帙入。料紙は斐楮交漉紙。墨付三十八丁。片面十二行。目録あり。奥書なし。目録によって所収曲を記すと以下の通り、「白楽天 鴬蛙・加茂 御田・舟弁慶 舟哥・邯鄲 傘之習・衣装附事・白髭 道者・養老 薬水・嵐山 猿聟・輪蔵 鉢扣・石橋 間・望月 間・江ノ嶋 道者」(末尾の「江ノ嶋 道者」は目録のみ本文なし)。「衣装附事」には「鴬蛙・白髭道者・御田・薬水・猿聟・鉢扣」の順で各役の出立を記す。なお、「鉢扣」のここの記述は簡略だが、後出の「輪蔵 鉢扣」本文末尾に詳しい装束付がある。習物の間狂言を集めた一書で、替間を多く収める点が貴重。「船弁慶 舟哥」以外はまとまった分量の台詞を有し、曲によっては演技に関する注記も部分的にも見られる(やや細字で記す場合が多い)。  奥書は無いが「邯鄲 傘之習」の末尾に「右傘之邯鄲の儀は文政四年巳十二月廿四日、於 椛((ママ))御殿江戸北流隠居喜多寿山老人七拾七才相勤られ、間弥三郎相勤候」と、文政四年(一八二一)彦根藩二の丸御殿(通称、槻御殿)での喜多寿山(十代十大夫盈親)の演能に関する付記が見えることから、その頃の内容と知られる。天保二年(一八三一)に七十七歳で没し、文政四年は六十七歳のはずの寿山の年齢に齟齬が見られるのは、誤認か、誤写によるものか存疑。前掲の付記には続きがあり、この時が傘をさして出る形での〈邯鄲〉寿山初演であったことや、狂言方と申し合わせた事柄等が記されている。この間狂言を勤めた「弥三郎」に注目したい。  この時期、彦根藩に出入する役者で「弥三郎」と言う名の者に「川嶋弥三郎」なる人物がいるとのご教示を宮本圭造氏より得た(彦根城博物館蔵『御役者御指紙略留』文政八年(一八二五)七月十四日に御用宿料「八拾八匁四分」および旅費「弐百疋」を下されたとして「川嶋弥三郎・同市次郎」の名が見える)。この「川嶋弥三郎」については、稲田秀雄氏「狂言番外曲の伝承経路─天理堀村本所収曲をめぐって─」(『狂言作品研究序説―形成・構想・演出─』和泉書院、二〇二一年)に詳しく、天明六年(一七八六)~弘化五年(一八四八)に大坂勧進能・勧進狂言、南都薪能での出演が知られる、大津在住の大蔵八右衛門派の町人役者であると、その素姓を明らかにされている。  『鴻山文庫蔵能楽資料解題(下)』(法政大学能楽研究所、二〇一四年)では、帙裏の江島氏考証メモに基づき、文化三年刊『乱舞人物録』に大坂和泉流とある「松川弥三郎」かとの推定や、〈石橋〉が『狂言集成』とほぼ同文であること、「舟哥」「薬水」が和泉流の小書名であること等を根拠に和泉流間狂言本されていた。しかし、「川嶋弥三郎」の活動時期および地域を考えると、本資料で〈邯鄲〉のアイを勤めた「弥三郎」と同人である蓋然性が高く、ひいては本資料全体が大蔵八右衛門派の間狂言本である可能性も出てくる。  作品からも大蔵流である証左がいくつか見える。まず「養老 薬水」は、祖父とその仲間が連れ立って滝へ出掛ける和泉流とは異なり、孫たちが祖父を滝へ連れていく筋立(『大蔵虎明本』脇狂言之類「やくすい」に同じ)になっている。次に「輪蔵 鉢扣」は、鉢叩が和讃を唱え念仏踊りをすると瓢の神(夷または登髭)が現れる和泉流「鉢叩」とは異なり、鉢叩きが出ても念仏踊りの場面は無い形を記す(『大蔵虎明本』万集類「はちたゝき」に同じ。近代になって作られた現行「福部の神勤入」には和讃と念仏踊りの場面がある)。また、福部と紅梅を同体と見なし、瓢の神が「紅梅殿の神とは、我が事なり」と名乗る大蔵流の特徴も見える。  さらに、その他の曲についても『大蔵八右衛門流能間』(能楽研究所蔵。資料番号:2391)と照合することで大筋の一致が確認される。『大蔵八右衛門流能間』の所収曲は「白楽天間 鴬蛙*・半蔀 立花供養・藤戸 先陣・白鬚 道者*・江ノ嶋 道者・嵐山間 猿聟*・加茂間 御田*・八嶋間 那須・舟弁慶 船唄*・安宅間 貝立・舟弁慶 白浪之節・輪蔵間 鉢扣勤・道成寺間・宝生流道成寺間・望月間*・鉢木 替間・敦盛 脇語り」。台詞を記した後に、装束付を置き、台詞に詳細な型付が傍記される曲が多い。「望月間」「敦盛 脇語り」に明治二年十二月の年記が見え、それ以降の書写と分かる。*印は『間習分』にある曲で、全十七曲のうち六曲が重なる。『間習分』より時代が下るため「輪蔵間 鉢扣勤」には、前述の「福部の神勤入」の形が記されている。  管見では、大蔵流の「舟弁慶 舟哥(船唄)」の詞章は『間習分』『大蔵八右衛門流能間』にしか見当たらず、大蔵流における舟哥の伝承を知り得て貴重である。『間習分』には、ワキの流儀によって船頭が弁慶に所望する手柄話が三通り(一ノ谷・鉄界か峯・阿波の渡り)示される点など注目される。『大蔵八右衛門流能間』については、詳述する準備がないが、両書によれば、幕末の大蔵流八右衛門派で、習とされた間狂言の大概を押さえられるものと思われる。 (深澤希望)